気づけば、周りは血の海だった。




私の手には拳銃が握られていた。





私のドレスは血に染まっていた。
















殺し屋を生業にしはじめたのは私が18歳のときだった。
イタリアのスラム街のようなところで生まれ育った私は、
そういう道にしか進むことが出来なかったからだ。
ドブネズミのように地元にしか威嚇できない弱小マフィアに
安い金で雇われ、言われるがままに殺しをした。

あっけないものよ?
人の死なんて。
引き金を引くだけ。
鉛の弾を心臓か脳みそに打ち込むだけ。
それだけで倒れるの。
心なんて痛まない。
全くね。

一日に何人か殺して、その分の報酬をもらう。
私は他人よりも綺麗らしいから、身体も使わされた。
もう私には心がなかった。
目の前で人が死んでも、
自分が弄ばれても、
何も感じなかった。








ある日、ローマでショッピングをしていたら、声をかけられた。
長身で若く、ボディーガードを二人も付けている。

モデルか何かかしら?

そんな風に思っていたら、彼はおもむろに口を開いた。








「お前、トラステベレの女神だろ」
「…」
「俺はディーノ。聞いたことない?」









トラステベレ…
私がいつも徘徊してるローマの下町。
そこのマフィアたちに、私はトラステベレの女神と呼ばれていた。

そしてこの男、ディーノ。
勿論、聞いたことがある。
イタリア最大のマフィアの一つ、キャバッローネ・ファミリー10代目ボスだ。
私とキャバッローネとの接点は何もない。
キャバッローネの人間を殺したこともない。
それなのに、どうして、彼は私に話しかけるの?








「うちに来ないか?」
「…ぇ…」
「あんなドブみてぇなファミリーよりうちのほうが断然楽しいぜ!」
「あ…」
「まぁ、無理にとは言わねぇ。お前、綺麗だし、あのボスが簡単に手放すとも思えねぇしな。」
「…」
「でもうちはお前を歓迎する。ま、気が変わったら連絡くれよ、
「!」








そうしてディーノは去って行った。

初めてだった。
本名で呼ばれたのは。
たいてい、男は私のことを「女神」と呼んだ。
でも彼は、名前で呼んでくれた。
それがすごくうれしかった。
そのことが私にとってどれだけ特別なことか、他の男にはわからない。

でもそれがいけなかったの。
殺し屋の私が喜びなんて感じてはいけなかったのよ。
それに自由。
彼は私に自由を差し伸べようとしてる。
街の住人に好意を持たれているマフィアに所属すれば、
私は殺し屋から足を洗える。
自由になるの。
でも、殺し屋が自由を求めるなんて、禁忌なのよ…


数日後、私はディーノに連絡を入れた。
彼は喜んで、私を本邸に招いてくれたわ。
綺麗な服も選んでくれて、食事もごちそうになった。
彼は私がファミリーに入ることを確信しているようだった。








…うちに来てくれるんだろ?」
「え?」
「俺もバカじゃない。あのマフィアのボスにはすでに俺の部下が張り付いてる。
 お前がYes,そういうわけであのボスはあっちの住人だ」






あっちの住人。
それは死を意味している。
そして私はつぶやいた。






「…Yes」







ディーノはすぐさま、携帯のボタンを押した。
通話はなかった。
おそらく、それが合図なのだろう。
ディーノは笑顔で私を抱きしめた。









ドンッ









銃声が私の耳に響いた。
ドレスの裾に隠し持っていた銃だ。
私はその銃の引き金を引いた。
生暖かい何かが、私の手を伝って床へ零れ落ちた。

そして彼はつぶやいた。







これで…自由だ、










人を殺して、初めて涙を流した。
彼は全て分かっていた。
私が望むものを…
私は彼の重みを感じながら床に崩れた。

私は殺し屋なの。
自由なんて望んではいけなかったのよ。










叶うな、願うな








私に そんな資格なんてない






2012/08/23