カラン…








誰かが空き缶を蹴る音が木霊した。
夜のローマは薄気味悪い。
眼付きの悪いゴロツキたちがカモになりそうな人間を探しているからだ。
特にここ、トラステベレ地区はローマ屈指の悪人が集う町だ。
酒を少し、引掛けにきたただの若者たちはとうの昔に帰ったあとだった。

深夜の1時。
今からは、どこかのファミリーに所属している若手マフィアの時間だ。








「なぁ、おっさん。ちょっと金出せよ」








中年の酔っ払いが銃を片手に脅す少年に金をせびられていた。
酔っ払いは訳も分からず、財布を置いて走り去っていった。


ここは、地獄みたいな町。


ドブネズミみたいな人間が、ゴミを漁りにやって来る、そんな町。
そんな私も…


ドブネズミみたいな、どうしようもない女。








「おーい、ねえちゃん!何でこんなとこ歩いてんのー?」
「俺らと遊ばねー?」








カツカツと石畳をヒールが突き刺す音が響く。
そんな中、聞こえるフザけた声。


反吐がでる…


でも、こんな町でしか暮らせない私自身にも反吐が出るくらい嫌になる。
殺し屋になって何年が経つのだろうか。
大小様々なマフィアに依頼された殺しを着々とこなす日々。
報酬は一回につき、家一件が買えるくらい。
でもそのほとんどはスイスの銀行の中。
普段は何もない、ただのお金のない若者の格好をしている。
何故って?


嫌になるからよ
すべてがね


人を殺しても、何も感じない。
金を得ても、何も感じない。
だから、お金は使わない。
殺しも、仕事でしかしない。当たり前か。
どこのマフィアにも属さないのは、拘束されたくないから。
私はどこまでも自由がいいの。
誰にも、何にも束縛されない、そんな生活が好きなの。
そんな私に付いたあだ名…



トラステベレの女神



フザけた名前よね。
そんな自由気ままな私を見たら、死ぬんですって。
見た、次の瞬間にはあの世らしいわ。


バカバカしい


私はそんな噂を信じる馬鹿は殺さない。








「なぁー、ねえちゃん、無視かよ!」
「俺らのファミリーの名前聞いて泣き喚いてもおせーからなぁ!」
「…一般人がファミリーの名前なんて知るわけないでしょ。馬鹿?」
「「あぁ!?」」







さっきから声をかけてくる男が声を荒げだした。
仕方がなく私は振り返って銃を一人の男の眉間に当てた。
その動きには無駄がなく、しなやかで、それでいて正確だった。








「お、お前…トラステベレの…」
め、女神!?
「…さっさとボスに言いつけなよ。そのボスひっくるめて、殺してやる」
ヒィッ!?
「い、行くぞ!!ロッソ!!」
「あ、あぁ!!」








そしてまた辺りは静かになった。








「トラステベレの女神…だっけか?」
!?
「あー、わりぃ、驚かせたな。ほら、飲めよ」
「!」








月明かりがちょうど雲で隠れて顔が見えないが、声からして男だろうか。
闇から投げられた缶はオレンジジュースだった。










「はは!毒なんて入ってねーよ。
!? なんで…その名を…」
「…俺のこと、見たことない?」
「…あ…」







雲が晴れてやっと、月明かりが
トラステベレの石畳を照らした。
そこにはイタリアでも五本の指に入るほど有力ファミリーのボスが立っていた。









「…キャバッローネ…ディーノ…」
「そ。やっぱ美人のヒットマンに覚えられてると嬉しいな」
「何の用?」








彼の言葉が私の頭に響いた。
ジュースの缶が石畳を叩く音が辺りに響いた。
そこは誰も通らない、私と彼だけの空間だった。

なぜ、あの時、私は手を伸ばしたのか分からない。
ただ、彼の声が妙に身体に響いて、それが罠だとは思えなかっただけ。
ただ、その言葉を信じたかっただけ。


救われた


そんな気がした。
“女神”と呼ばれた私が、救われる立場になったのはきっと…
きっと、彼が私にとっての神様みたいな存在だったからだ。

そして、手を伸ばした先には、彼がいた。











トラステベレ

                                   女神








「お前をさらいに来た、













2013/07/31