駅のホームに風が吹き抜けた。
電車が通過する。


私はそっと、身体を前に倒した。









Soar








夏が来た。
暑い暑い夏。
青い空には、どこまでも高く入道雲が立ち上がり、蝉は煩い程に鳴き喚いていた。

高校三年の夏は、いつもと違っていた。
周りは皆予備校に通っていた。
私はというと、ただぼーっと空を見ていた。
大学に行くつもりはなかった。
自分が何をしたいか分からなかった。


だから、ずっと空を眺めていた。







「あれ?さん?」
「…橘くん?」
「やっぱり!さんだ!何してるの?」
「…空、見てたの」
「そっか!今日、晴れてるもんね!予備校とか行かないの?」
「…うん」
「俺もなんだー。もう少しで県大会だからさ、練習三昧」
「水泳…してるんだよね」
「うん!知っててくれたんだ!泳いでるときはね、何も考えなくていいから…」








私は空に手を伸ばした。
勿論、届くはずもない。
雲を掴むフリをした。

勿論、届かない。










「遠いなぁー」
俺なら届くかも!
「へ?」








えい!っと本気で何かを掴もうとする橘くんを見て、私は目を見開いた。








「はは!やっぱり掴めないや」
「当たり前だよ。すっごく上にあるんだもん」
「そうだよね。でも、頑張ってたら掴めるかも」
「…」








翌日も、その翌日も、彼は来た。
雲は掴めないけど、自分たち水泳部が県大会に行けるまでの努力話をしてくれた。
それこそ、雲を掴むようなことだった、と。


おかしかった。


何故、この人は私にこんなにも一生懸命に話すのか、分からなかった。









「ねぇ、橘くん」
「へ?」
「なんで、そんなにも私に一生懸命話すの?」
「…だってさん。消えそうだから」
「…」
「明日には雲みたいに消えちゃいそうだから…俺が掴んどかないとって…」








耳を真っ赤にしていう彼がおかしくて、私は微笑んだ。








「ありがと、橘くん」














そして私はホームに立っていた。
たくさん空を見た。
雲を掴む努力をした。
それは報われることはなかったが。

橘くんと話した。
彼はとても優しい人だと分かった。
次の風が来たら、高く飛ぼう。



ホームに鳴り響く音と、少しして風が吹く音がした。







さぁ、前へ…










さん!!
!?








パシッと掴まれた手首。
風が吹き抜け、髪がなびいた。










「な、に…してるの?」
「…次は、空を飛ぼうと思って」
「はぁ?」
「雲は掴めなかったから…空を飛びたいなって…」
ダメ!!








彼の声はホームに響いた。
一瞬、呼吸が止まった。
誰かにこんなに叫ばれるのは初めてだったから。








「あのね、そんなやり方はズルイと思うよ」
「…ずるい?」
「うん。空の飛び方なんて他にもいっぱいあるじゃん。
 今、さんがしようと思ってたやり方は一番ズルイやり方…」
「…そう、か…」
「うん。帰ろう、一緒に」







彼は私の手を握ってくれた。
私も無意識に彼の手を握り返していた。











君となら、もっと高く翔べる気がした












駅からの帰り道、彼は空の飛び方を色々教えてくれた。








「一番安全なのが飛行機に乗ることだね!
 あとはスカイダイビングとかかなぁ…」
「スカイ…ダイビング…?」
「うん。まぁ、俺は絶対にやりたくないけど…さんがやりたいなら、一緒に…」
「やりたい」
「…へ?」
「やりたい。スカイダイビング








にっこり笑いかけると、橘くんの真っ赤な顔が見られる。
君となら、生きていける気がした。








2014/08/30