スペイン北部。
まだまだ自然が残ったこの地に降り立ったのは数カ月も前の話だ。
神田ユウはどんどんストレスが溜まっていっていた。
いくら探してもイノセンスあんてなし、アクマもいない。
というか、人間すらいなかったからだ。
「ったく…人間(えさ)もいねぇのにアクマなんかいるかよ」
そんな愚痴を吐きながら焚き火に薪をくべていた。
するとカサカサッと茂みが動く微かな音が聞こえた。
小動物だと思った。
なんせここ最近、ウサギやタヌキ、キツネといった動物しか見ていなかったからだ。
だが、今回は違うと思った。
警戒した足音が聞こえたからだ。
六幻を音のした方向に向けた。
数分後、そこから現れたのは怯えた顔をした女性だった。
神田は溜息をついて六幻を地面に刺した。
「か、火事じゃ…、ないんですか?」
「…は?」
「私の小屋から煙が見えたので…山火事だったら大変だと…」
「あ、あぁ…悪いな」
そう言って神田は砂をかけて火を消した。
女はホッと胸をなで下ろしたのか、ニッコリと神田に笑いかけた。
「旅人さん、お茶でもお出ししますから」
「…」
「ここから近いんですよ、私の小屋」
どうぞ、という声がとても澄んでいた。
とても聞きやすい、心が洗われるような声だった。
神田は若干警戒しつつも、その声の主について行った。
神田は彼女の住む小屋に入った。
小さな小屋だが、小奇麗に片付け、とても自然の生活を満喫しているようだった。
「どうぞ」
「…」
「トミージョを入れたミルクティーです」
「…トミージョ?」
「スペイン語です。英語では…そうですね、クミン、ですかね」
「へぇ。変わってるな」
「この地方ではよく飲まれてるんですよ」
クミンの香りがほのかに香るミルクティーを一口飲んだ。
これも、彼女の声と同じように心が洗われるような味がした。
「あの、旅人さん?」
「!」
「お名前は?」
「…神田、ユウだ」
「そう。私、って言います」
「…」
「えぇ。一つ、お願いがあるんですけど、聞いていただけますか?」
「…」
と名乗った女性はテーブルを挟んで向かい側に座った。
その笑顔は、やはり綺麗だった。
神田自身、綺麗な顔だと言われることが多い。
まぁ、自分では認めたくないのだが。
だが、この女性は本当に、綺麗だと思った。
心の底から笑っていると思った。
そんな彼女の願いを聞いてやりたいと思った。
それが例え、どんなに難しい願いでも…
「私を…殺していただけませんか?」
そんな時だった。
彼女の口からこんな言葉を聞いたのは。
目を見開いた。
彼女はまっすぐ、神田を見つめていた。
どれだけの時間、彼女を見つめていたのだろうか。
ミルクティーはいつの間にか、冷めてしまっていた。
「神田さんは…エクソシストですよね」
「!」
「だったら、私を殺してください」
「…オレは人間は殺さない」
「…」
「お前は人間だ。アクマは斬るが…」
「だから、殺してください」
「…お前、まさか…」
神田は後悔した。
今まで気が付かなかった自分が情けなかった。
こんなに近くまで来て、警戒心を解いてお茶まで飲んで。
神田はギリッと歯ぎしりをして、自分への怒りを押さえた。
「…ここにイノセンスはありません。
数ヶ月前、伯爵様が持って行ってしまいました」
「…あったのか…?」
「はい。でも今はありません」
「…何故、お前は魂に飢えていない?」
「…何故でしょう。疲れたから、でしょうか」
「…そんなアクマ、聞いたことねぇ」
「ふふ。私もです。だから伯爵様は私を見捨てたんだと思います」
「…」
「でもそろそろ、私も限界です。貴方が来てから3ヶ月、ずっと貴方を監視していました。
すぐにこの森から出て行ってくれると思ってたんです。でも貴方はずっといた。
エクソシストがいると殺したくなる…これは私も同じです。
我慢してたんです。
貴方さえ来なければ…」
彼女は冷めたミルクティーを一口飲んだ。
「私の皮になった女性はとても綺麗な人でした。
綺麗な声の人でした。
彼女は優しく、この森で迷っていた私を助けてくれました。
彼女は…私の命の恩人だったんです。
それが、突然でした。
彼女が死んだのは。
きっと、幸せだったと思います。
大好きなトミージョに囲まれて。
でも私は、その事実を受け止めることができなかったんです。
彼女の皮を被ったあと、ずっと後悔してたんです。
おかしなアクマでしょう?
涙だって血の色をしているのに、それなのに泣くんです。
人だって、殺したくないんです。
早く…私を殺してくれる人を見つけたかった…」
の涙は血の色をしていた。
それを見て、神田はスッと六幻を彼女の首にあてがった。
「お前は…俺が壊してやる」
神田は六幻を振り上げた。
その際、彼女の口が動き、笑った。
「神田さん、ありがとう…」
神田は地面に十字架を突き刺していた。
トミージョの生える場所だった。
「確かに…お前の皮になった女は綺麗だ。
それに、きっと優しいだろう。
だが、それがアクマになっていい理由なんかには、ならない…」
トミージョと共に
2014/02/14