また一つ、季節が過ぎた














    LOSER













    額からこぼれる汗が、顎を伝って地面を湿らせる
    膝から崩れ落ちた私は高い秋の空を見た






    「なんや、もうしまいか…」
    「…」
    「おい…」
    呼ばないで
    「は?」
    「私の名前を…呼ばないで」
    「…」







    私は持っていた竹刀を支えに起き上がり、目の前にいる金髪の関西人に言った。
    竹刀をまっすぐその男に差し向けた。
    ニタァっと笑う男は面白がっているようで何とも私の気に食わない顔をしている。








    もう一回…!







    私と男は竹刀をぶつけ合う。
    秋の空に響く音は、周りの木々に吸い込まれていく。

    昨今、江戸幕府が崩壊。
    明治時代が始まった。

    文明開化

    そんな言葉が瓦版に躍り出た。
    瓦版…今では新聞というらしい。
    男は刀を捨て、髷を落とした。
    女は着物から袴を着るようになった。
    ただ、まだまだ男社会、女は社会から排除され続けていた。

    私にはそんな世の中が耐えられなかった。
    女に生まれただけで虐げられたような気分になった。
    女だって何でもできる。
    家事・食事を作るだけの生活なんてまっぴらだ。
    そんな世の中を少しでも変えられるように…
    力を…発言力だけでなく力をつけなければ…

    そう思って森で剣術を一人で練習しているところに、この関西人がやってきた。

    平子真子

    そう名乗った男は、剣術が得意とのことだった。




    私はそう名乗った。
    男の目が変わり、少し怯んだような気がした。
    ただそれは一瞬で、私の勘違いかもしれない。

    私は平子真子に剣術の稽古を願った。
    平子は了承してくれた。
    それから数週間、ここで稽古を続けていた。













    「一つ、聞いてえぇか」
    「…なに?」
    「女やろ、なんで剣術なんか練習すんねん」
    「…」
    「女は男の後を付いていく世の中やろ。文明開化や、なんやゆうとるけどまだまだ女は…」
    「それよ」
    「へ?」
    「女に生まれただけで、全ての感情を押し殺して男の後を付いていかなくちゃならないなんて…絶対嫌
    「へぇ…」
    「それに、貴方も嫌い」
    「…はっ!なんでや、俺はお前に剣術を無償で教えてんのやぞ!?寧ろ感謝を…」
    「名前…」
    「ん?」
    「私を呼ぶときの声、大嫌い…私は貴方の大切な人じゃないのに…」
    っ!
    「…その人に私は、負けてるから…」








    ※     ※     ※









    現世に来て数年。
    ようやっとこの薄い空気にも慣れた頃や。
    散歩がてら森を歩いてたら小柄な女が竹刀を振るってた。
    この時代に女が竹刀振り回す姿なんか見られたら大騒ぎやのに。
    ただ、嫌な気はせんかった。
    あいつと似ていたから。
    竹刀を振る真剣な顔は、高みを目指すあいつと重なった。








    「…剣術、教えたろか」
    誰…!?
    「平子真子…ゆうねん。お前は?」

    !?
    「な、なによ…」
    「いや、な。俺が教えたるわ、本物の剣術」








    はっ…名前まで一緒とかあるか、普通?
    あいつとこいつは全くの別人で、顔も違う。
    歳もあいつのほうが何百歳も上で、こいつはたかが…十数歳。
    それやのに、真剣な顔は…まったく一緒や。
    何かを目指す、強い意志がある顔や。

    数週間目の今日。
    そんなあいつに言われた。


    名前を呼ぶな…私は俺の大切な人と違う


    気付いてたんや、こいつは。
    俺はあいつとこいつを重ねて、名前を呼んで、感情を重ねてたのを。
    こんな小娘に、俺は気付かれてたんや…









    ※      ※      ※








    「平子さんの、大切な人って私と似てるの?」









    私は今日の稽古が終わってから、帰ろうとする平子さんの背中に語りかけた。
    歩みを止めた彼は振り返ることもなく、口を開いた。










    「全然…似てへん」
    「じゃあ、何が一緒なの」
    「…」
    「平子さんが私を呼ぶ声、愛おしい人を呼ぶような声で…私…すごく悔しい!!
    「!」
    「私は平子さんの大切な人には絶対勝てないから…私のことを呼んでるのに平子さんの中はその人のことでいっぱいだから…!」
    …」
    「嫌!!」
    「ちゃうねん、…」
    「嫌!!そんな声で呼ばないで!!!
    ッ!!
    っ!








    いつの間にか私の前に来ていた平子さんは私の肩を掴み、目を合わせた。
    その目は「私を」見ていた。








    「俺の大切な人はお前と同じ顔をしてた。真剣に何かを目指す意志が宿る顔…俺の惚れたのはその顔や。
     それと同じ顔するんや、お前は。ただ、俺の惚れた女はもうおらん。一生会われへん。
     お前にはすまんことをした、そいつと重ねてもうたんは事実や…俺は負けたんや、お前のその意思に」
    「…」
    、もう俺はここに来やんで」
    「!」
    「もう教えることないしな」
    「平子さ…!」
    「それにこれ以上おったら俺はお前とあいつと同じように扱ってまう…それはあいつに失礼やからな」
    「…っ…」
    「ごめんな、…」










    涙を拭いた。
    すると目の前にいたはずの平子さんはおらず、秋の少し冷たい風が私を襲った。

    私も、貴方の大切な人を思う意思に負けたのね

    そう思うと、また涙が頬を伝い、地面を濡らした。











    × LOSER








    現世のも、お前と一緒の気ぃ強い女やったわ、













    2017/10/29