翌日の深夜。
私は愛馬・ファルナーズの縄を解いた。
アラベスク-9-
「明朝、あの森で合流しましょう…貴女は頭のいい子…わかるわね」
ヒヒンと短く鳴く愛馬の尻をペチンと軽く叩く。
ファルナーズはすぐに走り出した。
ルシタニア軍もただの馬を殺したりはしないだろう。
私はすぐにマントを羽織、王宮の地下へと急いだ。
「この者が本日、様と王妃様を安全な場所へとお連れする者です。
名を…」
「名をギーヴと申します!麗しい嬢!」
「貴方は…!」
「その白く美しい御み足を地下水などという水で汚すなどなんという…」
「おい、その辺にしろ…!」
「はぁ…宰相殿はこの詩の良さが分からんとは…まぁ、時間も時間だ。
さっさと出発しましょうか。嬢と、王妃サマ」
地下道は薄暗く、歩きづらかった。
しかし私はまっすぐ前を見て、歩いていた。
すると前を行くギーヴとやらが口を開いた。
「疲れたでしょう。少し休みますか、王妃様」
王妃は首を振るだけで言葉を発しない。
ギーヴはそんな王妃を見ることもせず、立ち止まった。
「無理はしないほうがいい。王妃様のふりをするだけでも大変なのだから」
「……なぜ、分かったのです?」
「香いで」
「!」
「あんたと王妃様とでは肌の香いが違う。たとえ同じ香水を使っていてもな。
あんたが身代りになってその間に嘘つき王妃様を逃がす…そういう段取りだろ?」
「……」
「違うわ」
「ん?嬢?」
「王妃様は逃げようとは思っておりません。それは断言できます」
「何故?」
「何故って…それは…」
「まぁ、あんたらみたいに献身的な人間の存在が身分の高い連中をのさばらせる。
連中をいい気にさせて結局のところ、あんたらの仲間たちを苦しめるんだ」
「ではこれ以上私たちを連れて先へは行けぬと言うのですか」
「俺が引き受けたのは王妃と嬢の護衛だ。
あんたの護衛はできないが、嬢を城外へ送り届けねば褒美が…いや、約束を果たせない」
すると女官が隠し持っていたナイフでギーヴを斬りつけた。
しかしそれはハラリとかわされたが、女官の膝がギーヴの急所を直撃した。
「様!早くこちらへ…!」
「え、えぇ…」
「お…おいおい…王宮へ戻るならそっちじゃない…」
「ひっ!!」
「これはこれは…光栄あるパルスの王妃様は民衆を捨て自分ひとり脱出なさるおつもりか」
女官は私を自分の影に隠し、前へ出た。
「…そなたは何者です!?」
「パルスにまことの正義を布こうと志す者だ」
「!…万騎長カーラーン様…?なぜこのような所に…」
「!?」
「カーラーン…“様”だと?
こやつ!王妃ではないな!!」
女官は銀仮面の男に喉元を掴まれ、私は水路に尻餅をついた。
目の前に移るのはルシタニア兵と共に行動するカーラーンの姿。
「カー…ラーン…様…?裏切ったの…ですか…」
女官は殺され、私の横へと投げ捨てられた。
銀仮面が私を見る。私は怯えた目で銀仮面の男とカーラーンを見ることしかできなかった。
「お前は…誰だ?」
「ひっ…!」
「俺の役に立たぬ者は…何人たりとも必要ない…!」
銀仮面が私の喉に手を伸ばしたそのとき、背後からギーヴの声が聞こえた。
「待て!
絶世ではないにしても美人を殺すとはなにごとだ!
しかも見目麗しい嬢にまで手を出そうとするとは…まったく…」
「…だと…」
「っ…!」
仮面の奥の鋭い眼光が私を貫く。
私は震えてその場から逃げることさえできなかった。
「顔を見せたらどうだ、色男。
それとも血液の変わりに水銀が流れているから…そんな素顔になったのか!?」
ギーヴの投げたランプが松明に当たり、その場を火で覆った。
カーラーンは銀仮面と私に火の粉が当たらぬように前へ出た。
「ご無事ですか?」
「あぁ…おぬしら、このこうるさい蚊を叩き潰せ」
「はっ!」
「俺は本物の王妃を追う。あと、そこの女は殺すな。生かして連れてこい」
「おっと…つれないね、銀仮面」
そう呟くが刹那。
ギーヴは残ったルシタニア兵は一人残らず切り殺した。
その場の水は血で濁り、私の頬にも返り血が飛んだ。
未だに立つことの出来ない私を、ギーヴが抱えて立たせた。
「そのマントの下に隠した弓具はお飾りかね、嬢」
「っ!」
「それとも何か、目の前で人が死ぬのを初めて見たか」
「…」
「全く…偉い人間というのは…宝の持ち腐れですな。こんないい弓具中々…」
「…二度目です」
「はい?」
「一度目は貴方に殺されたシャプール様。二度目は育ての親の首。見世物にされました」
「…」
「私は、どこぞの馬の骨かも分からない人間。決して偉くはない。
しかし、私は大将軍である父上と約束したのです。アルスラーン殿下に忠誠を誓うと…
ギーヴ殿…どうか私を…殿下の元へ連れて行ってはくれませぬか…!」
2016/11/23