翌朝、8時の鐘が鳴るまで私は目を覚まさなかった。
アラベスク-4-
カーンカーンと心地よい鐘の音が耳をかすめる。
うっすらと目を開けるとダリューンのたくましい胸板が目に入った。
もうひと眠りしようと目を閉じた瞬間、私は飛び起きた。
「仕事!!!」
「ん……?」
「あ、ごめんなさい!私、行かなきゃ…」
「何時だ?」
「8時!!大変、遅れちゃう…」
「何時からなんだ?」
「9時!走ればなんとか…」
「シャブラングを出そう…馬道を走れば間に合う」
「いいわよ、折角のお休みなんだからゆっくりして…」
着替えながら会話をしないと間に合わない。
寝室に香油を取りに行くと、寝ているはずのダリューンの姿がなかった。
顔でも洗いに行ったのだろと急いで準備を整えていると、家の外から馬の樋爪の音が聞こえてきた。
準備を整えて急いで外に出ると、シャブラングに跨ったダリューンの姿があった。
「ダリューン!?」
「乗れ」
「いや、でも…」
「急ぐのだろう…」
「きゃっ!?」
ダリューンに腹から抱えられ、彼の前に座らされる、と同時に走り出すシャブラング。
私は、振り落とされないようにしがみつくのに必死だった。
だが、そのおかげで私は9時までに王宮に着くことができた。
今日は9時から殿下に歴史のお話をすることになっているのだ。
シャブラングから降ろしてもらい、私はダリューンに礼を言った。
「ありがとう…!」
「あぁ…俺も午後から王宮に出る。帰る頃は一緒になるだろう」
「うん!」
「嬢」
後ろからそう呼ばれる声が聞こえた。
ダリューンから目を離し、後ろを振り返るとそこには万騎長サーム様が手を振っていた。
「サーム様!おはようございます!」
「馬での到着か」
「え!?あ、あ…これは私が…」
「私が馬を出そうと申し上げたのです、サーム殿」
「ダリューン」
ダリューンは馬から降りるとサームに一礼した。
同じ万騎長だとしてもダリューンは一番若い。上下関係ははっきりさせておくのがダリューンだ。
「まぁ、朝からお熱いことだ」
「ち、違うんです!私がちょっと寝坊をしてしまって…ダリューンに…いや、ダリューン様に無理を言ったんです」
「はっはっはっ!良い、もうおぬしらの仲は宮中内に広まっておる」
「「っ!///」」
「嬢、そろそろ行かねば殿下がお待ちのはずだ」
「はっ!し、失礼いたします!!ダリューン様ありがとうございました!サーム様、また後程!」
笑顔で去っていくの背中を見ながら、ダリューンはふっと笑みをこぼした。
「どうした?自らの女はそれほどまでに愛しいか?ん?」
「さ、サーム殿!!」
「そろそろおぬしらも身を固める時期だろう」
「私はまだ…万騎長に就任したばかりで浮かれてなどいられません」
「そう言っておると他の万騎長に取られるぞ」
「む…」
「特にな、シャプールの奴が嬢を慕っていると…」
「なっ…!?」
「はっはっはっ!あれだけの美貌だ。私もあと10程若かったらなぁ」
「サーム殿!!」
高らかに笑いながら宮廷内へと帰っていくサームの背を、苦虫を噛み潰したような顔で見つめるダリューン。
の美貌はダリューンも気づいていないわけではない。
他の男が寄ってくることも。
ただ、自分自身にとってもが隣にいることは当たり前で、にとっても同じだろうから
自分からが離れていくことはないだろうと勝手に思っていた。
だが、強引に迫られでもしたら、も断れないかも知れない。
万騎長に就任したばかりの自分と、以前より万騎長であるキシュワード殿やシャプール殿にが…
そう考えるだけで目の前が真っ暗になる思いがした。
ダリューンは頭を振り、シャプラングにまたがった。
「もう一度顔を洗おう…」
気を引き締めて、午後から書類でも整理しよう…
そう考えるほかなかった。
※ ※ ※
お昼時、私は殿下とのお勉強が終わり、中庭の椅子で一息着いていた。
季節はちょうど初夏に当たる今、木陰にいれば爽やかな風が吹き抜ける。
コックリコックリと船を漕いでいると、隣から男性の声が聞こえてきた。
「こんなところでうたた寝とは…嬢」
「ん…え、わ!シャプール様!?」
「何故そんなに驚く?」
「も、申し訳ございません…あの、えっと…すぐに失礼し…」
「ヨダレが垂れておる」
「へ!?///」
「冗談だ」
「シャ、シャプール様!!!///」
喉で笑うシャプール様を私は真っ赤な顔で睨んだ。
「それより嬢、昼は済ませたのか?」
「ん?あ…そう言えば…朝食も食べなかったんだった…」
「良ければ一緒にどうだ?私も今から食べるところだったんだ」
「…よろしいのですか?」
「一人で食べるより二人のほうが美味い」
「では、お言葉に甘えて…」
シャプール様の後ろを付いて行こうと一歩踏み出した瞬間、私は衣服の裾を踏み、つまずいた。
「きゃっ」と短い悲鳴と共に、私は手を前に出したが、私の身体は地面に倒れ込む前にたくましい腕によって止められた。
上を見上げると、前を歩いていたはずのシャプール様が振り返り、私を抱きとめてくれていた。
私は顔を赤らめて、その腕から飛び退いた。
「も、申し訳ございません…!」
「大事ないか?」
「は、はい…」
「…」
「…あ、あの、シャプール様?」
「…なんだ?」
「あの、もう大丈夫ですので、お手を…」
離していただいても…と私は消え入るような声で呟いた。
シャプールは急いでから自分の手を引っ込めた。
急いで前を向き直ると、咳払いをしてまた歩き出した。
「…行くぞ!」
「はい」
私は俯いてシャプールの後についき、中庭から去ろうとしたとき、建物の影から知った顔が現れた。
2016/09/24